グレート・リタ/愚冷刀凛汰(逢坂鈴汰)のプロレス専門ブログ。団体は新日本、W-1。選手は武藤敬司、グレート・ムタ、飯伏幸太、棚橋弘至、中邑真輔、内藤哲也、真田聖也、その他新日本、W-1勢など。Twitter :@rita_osaka
グレートレスラーファイルNo.5
「中邑真輔」
所属:新日本プロレス
ユニット:CHAOS
階級:ヘビー
タイプ:ヒール
スタイル:格闘技タイプ
獲得タイトル:IWGPインターコンチネンタル、IWGPヘビー級、G1 CLIMAX優勝、NEW JAPAN CUP優勝、IWGPタッグ王座他
得意技:ボマイェ、ランドスライド、腕ひしぎ十字固め、リバース・パワースラム、バイブレーション式ストンピング
大学時代、レスリング部と美術部に兼任所属し、レスリング部では主将を務める。
2002年に新日本プロレスに入門。同期に後藤洋央紀、田口隆祐、山本尚史(現:ヨシタツ)がいる。レスリングでの実績とデビュー前に総合格闘技の練習を積んでいたことから、総合格闘技路線の申し子として期待を受ける。
2003年12月、天山広吉を破り最年少でIWGPヘビー級王座初戴冠。大晦日には総合格闘技の舞台でアレクセイ・イグナショフと対戦。膝蹴りを受けてダウン後すぐ起き上がったにも関わらずレフェリーにTKOを宣言され敗北。後に中邑側からの抗議でジャッジを見直され無効試合となる。
2004年、自身の持つIWGPヘビー級王座と高山善廣の持つNWFヘビー級王座とのダブルタイトル戦を行い、これに勝利。二冠王となる。後日NWF王座を封印、精密検査のためIWGP王座も返上する。5月、イグナショフと再戦し、勝利。以降総合格闘技の試合は行っていない。2005年3月、全日本プロレスの小島聡に奪取されたIWGPヘビー級王座を奪還すべく、全日本のリングに単身乗り込んで対戦要求。その後タイトルマッチで対戦するも60分フルタイムドローに終わり、奪還は失敗する。
2006年3月に無期限遠征に出発する。元IWGP王者という肩書が対戦相手を制限してしまうため覆面レスラーとして試合を行うと発表されたが、遠征先では試合を一試合も行わず、新日本ロス道場にてトレーニングをした後帰国した。12月にIWGPヘビー級王者・棚橋弘至に挑戦するも敗北。
2007年、稔(現:田中稔)、ミラノコレクションA.T.らとユニット『RISE』を結成。しかしG1 CLIMAX準決勝で左肩を負傷。欠場に入る。同年11月、復帰。メインイベントのIWGPヘビー級選手権試合の後、マイクアピールを行い対戦を直訴。同じく挑戦を表明した真壁刀義との挑戦者決定戦に勝利し、次期挑戦者となる。
2008年1月4日、棚橋弘至を破りIWGPヘビー級王者となる。王者となった試合後、IWGPヘビー級3代目ベルトを所持するTNAのカート・アングルとのベルト統一選を要求。2月に対戦し勝利、3代目ベルトの奪還に成功した。同年3月、棚橋弘至を破り防衛に成功するも、4月に全日本プロレスの武藤敬司に敗れ、王座陥落。10月にリマッチ権を行使し挑戦するも、カウンターのフランケンシュタイナーで丸め込まれ敗れる。
2009年1月4日、後藤洋央紀とのタッグでプロレスリング・ノアの三沢光晴、杉浦貴組と対戦。自らが杉浦から勝利を奪った。2月、武藤を破りIWGPヘビー級王者となった棚橋弘至に挑むが敗れた。4月、真壁刀義とのシングルマッチ中に、G.B.Hのメンバーであった矢野通が真壁を裏切り椅子攻撃。そのアシストを受け真壁に完勝する。後日、真壁と本間朋晃を除くG.B.Hメンバーとヒールユニット『CHAOS』を結成。リーダーとなる。8月のG1 CLIMAXでは全勝で決勝トーナメントに進むものの決勝戦で真壁刀義に敗れ準優勝。G1終了後、棚橋弘至の王座返上に伴い行われた王者決定戦で真壁に勝利し、IWGPヘビー級王者となる。
2010年1月4日、高山善廣と6年ぶりに対戦し、勝利。その後も防衛を重ねるが、5月に真壁に敗れ王座陥落。この試合で真壁の技を受けた際、左肩の古傷を負傷。その後の興業ではテーピングを貼って出場を続けるがドクターストップがかかり、欠場する。6月に復帰し、7月にリマッチ権を行使して真壁に挑むも敗戦。10月、G1 CLIMAXを制し、真壁からIWGPヘビー級王座を奪取した小島聡に次期挑戦者に指名される。12月にタイトルマッチが行われるものの敗れた。
2011年8月、内藤哲也を破ってG1 CLIMAX初優勝。9月にIWGPヘビー級王者・棚橋弘至に挑戦するも敗れる。11月、試合後に勝利した内藤哲也に突っかかり遺恨発生。内藤もマイクアピールでG1のリベンジマッチを要求。12月に直接対決が組まれ、内藤を返り討ちにした。
2012年7月、後藤洋央紀の持つIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦。勝利し、第4代王者となる。試合後のコメントで同王座ベルトのデザインを酷評、会社に対し作り直しを要求する。以降、防衛を重ねる。
2013年1月4日、新日本に参戦していた桜庭和志とIWGPインターコンチネンタル王座をかけ激突。激闘の末勝利を収める。5月、メキシコ・CMLL遠征時にラ・ソンブラに敗れ王座を一度手放すも、7月の秋田大会でリベンジを果たす。11月、鈴木みのるとのタイトルマッチに勝利。試合後、リング上で次期挑戦者として棚橋弘至を呼び込む。
2014年1月4日のメインイベントで棚橋弘至とIWGPインターコンチネンタル王座をかけ激突。敗北し、棚橋に王座を明け渡す。2月、リマッチを行うも敗北。3月のNEW JAPAN CUPに出場。決勝戦でバッドラック・ファレを破り初優勝。4月、優勝者権限で棚橋弘至のIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦し、勝利。王座に返り咲く。5月3日、桜庭和志とタッグを組み、グレイシー一族のダニエル・グレイシー、ホーレス・グレイシー組と特殊ルールで対決。道着を着用して試合に臨むも、桜庭がギブアップを奪われ敗北。その後、ダニエル・グレイシーが、12年前に総合格闘技の試合で中邑に勝利していることを引き合いに出し、IWGPインターコンチネンタル王座への挑戦を表明。13日にプロレスルールで返り討ちにする。しかし6月、バッドラック・ファレに敗れて王座陥落。無冠のまま迎えたG1 CLIMAXでは決勝戦まで進み、同じCHAOSのオカダ・カズチカと対戦。敗れて準優勝となる。9月にバッドラック・ファレにリマッチを挑み勝利。王座に三度返り咲く。
元々は総合格闘技色の強いファイトスタイルであったが、後に肉体改造を行いパワーファイトも行うようになる。現在はキックや関節技など格闘技系の技をベースに、全身をクネクネとしならせる独特のムーブで会場を沸かせている。バックドロップやドロップキック、ジャーマン・スープレックスなど、知名度の高いプロレス技をほとんど使用していないことでも特徴的。
評:全てが独特、所作がことごとく特徴になるという、とんでもない個性を持ったレスラー。元々総合格闘技指向だったこともあり関節技の精度はピカイチ。特に若手時代から愛用している飛びつき回転腕ひしぎ十字固めは本当に画になる。総合格闘技の波が去り徐々に王道的なプロレスへと回帰していく新日本にあって、今なお格闘技色の強いそのスタイルは異色とも言える。
フィニッシュ・ホールドであるボマイェを初めとして、膝を使った攻撃のバリエーションは圧巻。ボマイェも右足正調、左足正調、スライディング、ジャンピング、スタンディング(立っている相手へのボマイェ)などどんどん進化している。末恐ろしい。
・・・のだけど、2008~2009年ごろの、特に武藤とタイトルを争っていたころのファイトスタイルも個人的には大好きなので少し寂しい気もする。昔の必殺技であるランドスライドは、ボマイェ習得後は桜庭和志戦、ラ・ソンブラ戦での雪崩式、ダニエル・グレイシー戦と三度しか使用していない(たぶん)。この技、実は筆者の好きな投げ技ベスト3に入るほど気に入っていたので残念極まりない(ちなみに好きな投げ技1位はタイガー・スープレックス。この技も昔中邑が使用していた)。
近年は新しく挑戦してきたやつに負ける→リマッチ勝利の流れが出来上がりつつあるから、できれば即座にリマッチ組むのはやめといたほうがいいと思うのだけれども。それと、もうやらないとは思うけども下手に過去の総合格闘技のことを引っ張り出してくるのはよくない。個人的にダニエルとの戦いも、その前のタッグも面白くなかった。
インターコンチ次期挑戦者に飯伏幸太が決定している。2013年のベストバウトを取った2人だけに、期待感も高いよね。個人的には飯伏に勝ってほしいけどね。因縁の柴田も倒したし、インターコンチのベルト自体も中邑の活躍で価値が急上昇している。これからはインターコンチ戦線に絡んだことのない第三世代やジュニア戦士、CHAOSとの同門タイトルマッチなんかもやってってもらいたいね。インターコンチネンタルはそれを可能にする自由なベルトだと思う。イヤァオ!!!
個人的ベストバウト:2013年東京ドーム、IWGPインターコンチネンタル選手権 vs桜庭和志
2013年G1公式戦、vs飯伏幸太
「中邑真輔」
所属:新日本プロレス
ユニット:CHAOS
階級:ヘビー
タイプ:ヒール
スタイル:格闘技タイプ
獲得タイトル:IWGPインターコンチネンタル、IWGPヘビー級、G1 CLIMAX優勝、NEW JAPAN CUP優勝、IWGPタッグ王座他
得意技:ボマイェ、ランドスライド、腕ひしぎ十字固め、リバース・パワースラム、バイブレーション式ストンピング
大学時代、レスリング部と美術部に兼任所属し、レスリング部では主将を務める。
2002年に新日本プロレスに入門。同期に後藤洋央紀、田口隆祐、山本尚史(現:ヨシタツ)がいる。レスリングでの実績とデビュー前に総合格闘技の練習を積んでいたことから、総合格闘技路線の申し子として期待を受ける。
2003年12月、天山広吉を破り最年少でIWGPヘビー級王座初戴冠。大晦日には総合格闘技の舞台でアレクセイ・イグナショフと対戦。膝蹴りを受けてダウン後すぐ起き上がったにも関わらずレフェリーにTKOを宣言され敗北。後に中邑側からの抗議でジャッジを見直され無効試合となる。
2004年、自身の持つIWGPヘビー級王座と高山善廣の持つNWFヘビー級王座とのダブルタイトル戦を行い、これに勝利。二冠王となる。後日NWF王座を封印、精密検査のためIWGP王座も返上する。5月、イグナショフと再戦し、勝利。以降総合格闘技の試合は行っていない。2005年3月、全日本プロレスの小島聡に奪取されたIWGPヘビー級王座を奪還すべく、全日本のリングに単身乗り込んで対戦要求。その後タイトルマッチで対戦するも60分フルタイムドローに終わり、奪還は失敗する。
2006年3月に無期限遠征に出発する。元IWGP王者という肩書が対戦相手を制限してしまうため覆面レスラーとして試合を行うと発表されたが、遠征先では試合を一試合も行わず、新日本ロス道場にてトレーニングをした後帰国した。12月にIWGPヘビー級王者・棚橋弘至に挑戦するも敗北。
2007年、稔(現:田中稔)、ミラノコレクションA.T.らとユニット『RISE』を結成。しかしG1 CLIMAX準決勝で左肩を負傷。欠場に入る。同年11月、復帰。メインイベントのIWGPヘビー級選手権試合の後、マイクアピールを行い対戦を直訴。同じく挑戦を表明した真壁刀義との挑戦者決定戦に勝利し、次期挑戦者となる。
2008年1月4日、棚橋弘至を破りIWGPヘビー級王者となる。王者となった試合後、IWGPヘビー級3代目ベルトを所持するTNAのカート・アングルとのベルト統一選を要求。2月に対戦し勝利、3代目ベルトの奪還に成功した。同年3月、棚橋弘至を破り防衛に成功するも、4月に全日本プロレスの武藤敬司に敗れ、王座陥落。10月にリマッチ権を行使し挑戦するも、カウンターのフランケンシュタイナーで丸め込まれ敗れる。
2009年1月4日、後藤洋央紀とのタッグでプロレスリング・ノアの三沢光晴、杉浦貴組と対戦。自らが杉浦から勝利を奪った。2月、武藤を破りIWGPヘビー級王者となった棚橋弘至に挑むが敗れた。4月、真壁刀義とのシングルマッチ中に、G.B.Hのメンバーであった矢野通が真壁を裏切り椅子攻撃。そのアシストを受け真壁に完勝する。後日、真壁と本間朋晃を除くG.B.Hメンバーとヒールユニット『CHAOS』を結成。リーダーとなる。8月のG1 CLIMAXでは全勝で決勝トーナメントに進むものの決勝戦で真壁刀義に敗れ準優勝。G1終了後、棚橋弘至の王座返上に伴い行われた王者決定戦で真壁に勝利し、IWGPヘビー級王者となる。
2010年1月4日、高山善廣と6年ぶりに対戦し、勝利。その後も防衛を重ねるが、5月に真壁に敗れ王座陥落。この試合で真壁の技を受けた際、左肩の古傷を負傷。その後の興業ではテーピングを貼って出場を続けるがドクターストップがかかり、欠場する。6月に復帰し、7月にリマッチ権を行使して真壁に挑むも敗戦。10月、G1 CLIMAXを制し、真壁からIWGPヘビー級王座を奪取した小島聡に次期挑戦者に指名される。12月にタイトルマッチが行われるものの敗れた。
2011年8月、内藤哲也を破ってG1 CLIMAX初優勝。9月にIWGPヘビー級王者・棚橋弘至に挑戦するも敗れる。11月、試合後に勝利した内藤哲也に突っかかり遺恨発生。内藤もマイクアピールでG1のリベンジマッチを要求。12月に直接対決が組まれ、内藤を返り討ちにした。
2012年7月、後藤洋央紀の持つIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦。勝利し、第4代王者となる。試合後のコメントで同王座ベルトのデザインを酷評、会社に対し作り直しを要求する。以降、防衛を重ねる。
2013年1月4日、新日本に参戦していた桜庭和志とIWGPインターコンチネンタル王座をかけ激突。激闘の末勝利を収める。5月、メキシコ・CMLL遠征時にラ・ソンブラに敗れ王座を一度手放すも、7月の秋田大会でリベンジを果たす。11月、鈴木みのるとのタイトルマッチに勝利。試合後、リング上で次期挑戦者として棚橋弘至を呼び込む。
2014年1月4日のメインイベントで棚橋弘至とIWGPインターコンチネンタル王座をかけ激突。敗北し、棚橋に王座を明け渡す。2月、リマッチを行うも敗北。3月のNEW JAPAN CUPに出場。決勝戦でバッドラック・ファレを破り初優勝。4月、優勝者権限で棚橋弘至のIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦し、勝利。王座に返り咲く。5月3日、桜庭和志とタッグを組み、グレイシー一族のダニエル・グレイシー、ホーレス・グレイシー組と特殊ルールで対決。道着を着用して試合に臨むも、桜庭がギブアップを奪われ敗北。その後、ダニエル・グレイシーが、12年前に総合格闘技の試合で中邑に勝利していることを引き合いに出し、IWGPインターコンチネンタル王座への挑戦を表明。13日にプロレスルールで返り討ちにする。しかし6月、バッドラック・ファレに敗れて王座陥落。無冠のまま迎えたG1 CLIMAXでは決勝戦まで進み、同じCHAOSのオカダ・カズチカと対戦。敗れて準優勝となる。9月にバッドラック・ファレにリマッチを挑み勝利。王座に三度返り咲く。
元々は総合格闘技色の強いファイトスタイルであったが、後に肉体改造を行いパワーファイトも行うようになる。現在はキックや関節技など格闘技系の技をベースに、全身をクネクネとしならせる独特のムーブで会場を沸かせている。バックドロップやドロップキック、ジャーマン・スープレックスなど、知名度の高いプロレス技をほとんど使用していないことでも特徴的。
評:全てが独特、所作がことごとく特徴になるという、とんでもない個性を持ったレスラー。元々総合格闘技指向だったこともあり関節技の精度はピカイチ。特に若手時代から愛用している飛びつき回転腕ひしぎ十字固めは本当に画になる。総合格闘技の波が去り徐々に王道的なプロレスへと回帰していく新日本にあって、今なお格闘技色の強いそのスタイルは異色とも言える。
フィニッシュ・ホールドであるボマイェを初めとして、膝を使った攻撃のバリエーションは圧巻。ボマイェも右足正調、左足正調、スライディング、ジャンピング、スタンディング(立っている相手へのボマイェ)などどんどん進化している。末恐ろしい。
・・・のだけど、2008~2009年ごろの、特に武藤とタイトルを争っていたころのファイトスタイルも個人的には大好きなので少し寂しい気もする。昔の必殺技であるランドスライドは、ボマイェ習得後は桜庭和志戦、ラ・ソンブラ戦での雪崩式、ダニエル・グレイシー戦と三度しか使用していない(たぶん)。この技、実は筆者の好きな投げ技ベスト3に入るほど気に入っていたので残念極まりない(ちなみに好きな投げ技1位はタイガー・スープレックス。この技も昔中邑が使用していた)。
近年は新しく挑戦してきたやつに負ける→リマッチ勝利の流れが出来上がりつつあるから、できれば即座にリマッチ組むのはやめといたほうがいいと思うのだけれども。それと、もうやらないとは思うけども下手に過去の総合格闘技のことを引っ張り出してくるのはよくない。個人的にダニエルとの戦いも、その前のタッグも面白くなかった。
インターコンチ次期挑戦者に飯伏幸太が決定している。2013年のベストバウトを取った2人だけに、期待感も高いよね。個人的には飯伏に勝ってほしいけどね。因縁の柴田も倒したし、インターコンチのベルト自体も中邑の活躍で価値が急上昇している。これからはインターコンチ戦線に絡んだことのない第三世代やジュニア戦士、CHAOSとの同門タイトルマッチなんかもやってってもらいたいね。インターコンチネンタルはそれを可能にする自由なベルトだと思う。イヤァオ!!!
個人的ベストバウト:2013年東京ドーム、IWGPインターコンチネンタル選手権 vs桜庭和志
2013年G1公式戦、vs飯伏幸太
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連載小説『RYUSEI』
第1章 ジュニアの象徴
3
試合後。
痛む首を冷やしながら早足で控室に戻る。
ヤングドラゴンは、自分の試合が終わったからと気を抜くことは許されない。
一秒でも早く着替えを済ませ、この後の先輩たちのフォローに回らなければならない。
ぶつぶつと小声で今後の予定を繰り返しながら、ドアノブに手をかけた。
と、その隆也の肩を誰かが叩いた。
「――!!」
振り返ると、そこに立っていたのは、先ほど試合で破った高崎裕太郎だった。
後輩に敗北した報復か?
警戒しながらも隆也は軽く頭を下げた。
「お疲れ様でした。試合では胸を貸していただき、ありがとうございます」
裕太郎は首を振った。その顔には不敵な笑みが張り付いている。
「お前、強ぇなぁ。俺もかなり自信あったんだけどよぉ。あのジャーマンは効いたぜぇ」
意図が読めない。
ただ後輩を称えるために呼び止めたとは思えない。
顔の笑みがそれを証明している。
「・・・何か」
隆也が切り出すと、裕太郎はその顔の笑みをさらに大きく咲かせた。
「新藤隆也。お前よ、俺とタッグ組まねぇか?」
「タッグ?」
タッグチーム、つまりペアを組もう。この男はそう言っているのだ。
「おうよ。俺もお前もまだまだ若造だけどよ、俺らのタッグならいずれこの東洋のトップに立てるぜ。まずはジュニア、それからヘビーだ。どうだ、俺と来るか」
タッグでの頂点。
考えたこともなかった。
東洋プロレスに入門し、そのリングの主役になりたい。
その思いを胸にここまでやってきたが、頂はいまだ遥か先。
手が届くどころか、この目で見ることさえ叶わないほど、高く遠い場所にある。
その頂に上り詰めるために、タッグという岩場を越えるか・・・。
裕太郎の実力は、自ら体験したとおりだ。
ふと、ある疑問が脳裏をかすめた。
隆也は、迷わずそれを裕太郎にぶつけた。
「裕太郎さん。・・・あなたもしかして、今日の試合で俺を試しました? あなたほどの実力があれば、最後のジャーマンだって返せたはず」
裕太郎は口の端を大きく歪めた。
言葉は発しなかったが、まぎれもなく肯定の意だ。
(コイツ・・・!)
食えない男だが、なかなか面白い。
隆也もにやりと笑みを浮かべ、裕太郎に手を差し出した。
裕太郎がその手をがっしりと握る。
「タッグ結成、だ」
「ですね」
「おいおい、タッグパートナーだし、キャリアも歳も1年しか違わないんだぜ? 敬語なんていいよ遣わなくて。普通に、同期として接してくれてもいい。それぐらいやって結束しなきゃ、若造二人のタッグが上に行くことなんて出来やしねぇ」
「・・・わかった。よろしく、裕太郎」
「よろしく頼むぜ、新藤チャン」
――東洋プロレス・ジュニアヘビー級におけるタッグのベルト、WGPジュニアタッグ選手権試合。
若手ながらも並み居る強豪を撃破し、ついにその頂に立ったタッグチーム『チャーミング&チャーミング』との死闘を制し、新たなチャンピオンチームとなったのは、東洋プロレスの生ける伝説と呼ばれる男たち。
ベテランユニット『神話軍』の龍神ドラゴン・ライダー&ATSUSHI組。
ライダーが試合後、マイクを取った。
「俺たちが新チャンピオンだーっ!!」
大歓声が起きた。
プロレスラーとしての全盛期はとうに越え、ゆっくりとした下り坂に差し掛かっていてもなお、その支持率は凄まじい。
ジュニアヘビー級という階級の黎明期から第一線で闘い続け、時にはヘビー級の選手にも立ち向かっていくその姿は、いつも観客の感動を呼び起こしてきた。
彼が『ジュニアの象徴』と呼ばれる所以である。
「オイ、チャミチャミ。お前らがリマッチやりたいってんならやってやるぞ! もしくは他に挑戦したいやつがいたら受けてやるぞ!! 誰でも来い!!」
再び大歓声。
声が膜のようにリングを包み込むのが見えるかのようだ。
そのカーテンをくぐり、リングに向かう者たちがいた。
男たちの姿を見た時、世界の龍神の、恐ろしいマスクの下に隠された素顔が、はっきりと意外な表情を浮かべた。
「お? なんだお前ら、タッグ組んだのか? で、ここに来たってことは、だ。俺とATSUSHIのタッグベルト、挑戦する気で来たんだよな? 残念ながら、お前らじゃ、俺らには勝てないぞ。負けると分かってて挑んでくるなら、いいぜ、受けてやろう。まずはお前らの口からはっきりと、挑戦すると言え!!」
ライダーがマイクを投げる。
リングに落ちて弾んだマイクを拾ったのは、高崎裕太郎。
後に続くのは、新藤隆也である。
裕太郎はふてぶてしいまでの笑顔で会場を見渡し、マイクを口元に運んだ。
「えー・・・皆さん、どうも。みなさんの中には、俺たちを知らない人達も、いると思いますが。俺たちが! 東洋ジュニア『最強』のタッグチーム。高崎裕太郎、新藤隆也。二人で『LIMITLESS(リミットレス)』だ!」
歓声、そしてブーイング。
それらを自ら浴びるように手を広げ、裕太郎はライダーに向き直った。
「ライダーさん。言えと言われたので言います。俺と、新藤、LIMITLESSが。次の挑戦者だ!」
裕太郎が投げつけたマイクをキャッチし、ライダーが続ける。
「聞いたか裕太郎。この歓声の差を。お前らじゃ俺らとは釣り合わないんだ。でも、さっきやるって言ったからな。やってやろうじゃないか。お前らには若さと勢いがあるだろう。でもな、俺らにはそれ以外の全てがあるんだ。パワーも、テクニックも、スタミナも、人気も、キャリアもあるんだ! お前らな、俺らを倒そうっていうならな、その全てを越えるつもりで来い!! ・・・さっきから、裕太郎ばっかりしゃべってるよな。新藤、お前もわかってんのか!」
マイクが、隆也の目の前に落とされる。
それを隆也は躊躇なく拾い上げた。
「キャリアは越えられねぇよ」
吐き捨てるように言い、新藤はマイクを放り投げた。
短いながらも先輩の揚げ足を堂々ととるその姿に、観客からは拍手と、歓声。そしていくらかのブーイングが投げつけられた。
しかし、隆也は表情を変えず、目の前の生ける伝説二人を睨み付けていた。
後日。記者会見&調印式が行われ、正式にLIMITLESS vs 神話軍タッグチームのタイトルマッチが決定した。
相手はジュニアの象徴。生ける伝説。
しかし、彼らを越えていかなければ未来はない。
ただ踏み越えるのではだめだ。
飛び越えなければ。
パワーとレスリングテクニックでは、キャリアの長い相手側に一日の長がある。
ことパワーに関しては、裕太郎の方が確実に上。
なら俺はどうするか。
スピード、そして・・・。
跳躍、だ。
この日、模索中だった隆也のファイティングスタイルは明確に定まった。
初めてトップロープから飛ぶ技を練習した時、その高さと恐怖に驚いた。
しかし、隆也は確実に手応えを感じていた。
これが自分の戦い方なんだと。
タイトルマッチまでの地方巡業シリーズで、隆也は次々と新しいムーブ(技、動き)を披露していった。
全身をバネのように使い、リング内を所狭しと動き回る隆也の姿は、とあるトップレスラーの若い頃の姿を思わせた。
人々はいつしか、隆也をそのレスラーの愛称で呼ぶようになった。
『ジーニアス』と。
(続く)
第1章 ジュニアの象徴
3
試合後。
痛む首を冷やしながら早足で控室に戻る。
ヤングドラゴンは、自分の試合が終わったからと気を抜くことは許されない。
一秒でも早く着替えを済ませ、この後の先輩たちのフォローに回らなければならない。
ぶつぶつと小声で今後の予定を繰り返しながら、ドアノブに手をかけた。
と、その隆也の肩を誰かが叩いた。
「――!!」
振り返ると、そこに立っていたのは、先ほど試合で破った高崎裕太郎だった。
後輩に敗北した報復か?
警戒しながらも隆也は軽く頭を下げた。
「お疲れ様でした。試合では胸を貸していただき、ありがとうございます」
裕太郎は首を振った。その顔には不敵な笑みが張り付いている。
「お前、強ぇなぁ。俺もかなり自信あったんだけどよぉ。あのジャーマンは効いたぜぇ」
意図が読めない。
ただ後輩を称えるために呼び止めたとは思えない。
顔の笑みがそれを証明している。
「・・・何か」
隆也が切り出すと、裕太郎はその顔の笑みをさらに大きく咲かせた。
「新藤隆也。お前よ、俺とタッグ組まねぇか?」
「タッグ?」
タッグチーム、つまりペアを組もう。この男はそう言っているのだ。
「おうよ。俺もお前もまだまだ若造だけどよ、俺らのタッグならいずれこの東洋のトップに立てるぜ。まずはジュニア、それからヘビーだ。どうだ、俺と来るか」
タッグでの頂点。
考えたこともなかった。
東洋プロレスに入門し、そのリングの主役になりたい。
その思いを胸にここまでやってきたが、頂はいまだ遥か先。
手が届くどころか、この目で見ることさえ叶わないほど、高く遠い場所にある。
その頂に上り詰めるために、タッグという岩場を越えるか・・・。
裕太郎の実力は、自ら体験したとおりだ。
ふと、ある疑問が脳裏をかすめた。
隆也は、迷わずそれを裕太郎にぶつけた。
「裕太郎さん。・・・あなたもしかして、今日の試合で俺を試しました? あなたほどの実力があれば、最後のジャーマンだって返せたはず」
裕太郎は口の端を大きく歪めた。
言葉は発しなかったが、まぎれもなく肯定の意だ。
(コイツ・・・!)
食えない男だが、なかなか面白い。
隆也もにやりと笑みを浮かべ、裕太郎に手を差し出した。
裕太郎がその手をがっしりと握る。
「タッグ結成、だ」
「ですね」
「おいおい、タッグパートナーだし、キャリアも歳も1年しか違わないんだぜ? 敬語なんていいよ遣わなくて。普通に、同期として接してくれてもいい。それぐらいやって結束しなきゃ、若造二人のタッグが上に行くことなんて出来やしねぇ」
「・・・わかった。よろしく、裕太郎」
「よろしく頼むぜ、新藤チャン」
――東洋プロレス・ジュニアヘビー級におけるタッグのベルト、WGPジュニアタッグ選手権試合。
若手ながらも並み居る強豪を撃破し、ついにその頂に立ったタッグチーム『チャーミング&チャーミング』との死闘を制し、新たなチャンピオンチームとなったのは、東洋プロレスの生ける伝説と呼ばれる男たち。
ベテランユニット『神話軍』の龍神ドラゴン・ライダー&ATSUSHI組。
ライダーが試合後、マイクを取った。
「俺たちが新チャンピオンだーっ!!」
大歓声が起きた。
プロレスラーとしての全盛期はとうに越え、ゆっくりとした下り坂に差し掛かっていてもなお、その支持率は凄まじい。
ジュニアヘビー級という階級の黎明期から第一線で闘い続け、時にはヘビー級の選手にも立ち向かっていくその姿は、いつも観客の感動を呼び起こしてきた。
彼が『ジュニアの象徴』と呼ばれる所以である。
「オイ、チャミチャミ。お前らがリマッチやりたいってんならやってやるぞ! もしくは他に挑戦したいやつがいたら受けてやるぞ!! 誰でも来い!!」
再び大歓声。
声が膜のようにリングを包み込むのが見えるかのようだ。
そのカーテンをくぐり、リングに向かう者たちがいた。
男たちの姿を見た時、世界の龍神の、恐ろしいマスクの下に隠された素顔が、はっきりと意外な表情を浮かべた。
「お? なんだお前ら、タッグ組んだのか? で、ここに来たってことは、だ。俺とATSUSHIのタッグベルト、挑戦する気で来たんだよな? 残念ながら、お前らじゃ、俺らには勝てないぞ。負けると分かってて挑んでくるなら、いいぜ、受けてやろう。まずはお前らの口からはっきりと、挑戦すると言え!!」
ライダーがマイクを投げる。
リングに落ちて弾んだマイクを拾ったのは、高崎裕太郎。
後に続くのは、新藤隆也である。
裕太郎はふてぶてしいまでの笑顔で会場を見渡し、マイクを口元に運んだ。
「えー・・・皆さん、どうも。みなさんの中には、俺たちを知らない人達も、いると思いますが。俺たちが! 東洋ジュニア『最強』のタッグチーム。高崎裕太郎、新藤隆也。二人で『LIMITLESS(リミットレス)』だ!」
歓声、そしてブーイング。
それらを自ら浴びるように手を広げ、裕太郎はライダーに向き直った。
「ライダーさん。言えと言われたので言います。俺と、新藤、LIMITLESSが。次の挑戦者だ!」
裕太郎が投げつけたマイクをキャッチし、ライダーが続ける。
「聞いたか裕太郎。この歓声の差を。お前らじゃ俺らとは釣り合わないんだ。でも、さっきやるって言ったからな。やってやろうじゃないか。お前らには若さと勢いがあるだろう。でもな、俺らにはそれ以外の全てがあるんだ。パワーも、テクニックも、スタミナも、人気も、キャリアもあるんだ! お前らな、俺らを倒そうっていうならな、その全てを越えるつもりで来い!! ・・・さっきから、裕太郎ばっかりしゃべってるよな。新藤、お前もわかってんのか!」
マイクが、隆也の目の前に落とされる。
それを隆也は躊躇なく拾い上げた。
「キャリアは越えられねぇよ」
吐き捨てるように言い、新藤はマイクを放り投げた。
短いながらも先輩の揚げ足を堂々ととるその姿に、観客からは拍手と、歓声。そしていくらかのブーイングが投げつけられた。
しかし、隆也は表情を変えず、目の前の生ける伝説二人を睨み付けていた。
後日。記者会見&調印式が行われ、正式にLIMITLESS vs 神話軍タッグチームのタイトルマッチが決定した。
相手はジュニアの象徴。生ける伝説。
しかし、彼らを越えていかなければ未来はない。
ただ踏み越えるのではだめだ。
飛び越えなければ。
パワーとレスリングテクニックでは、キャリアの長い相手側に一日の長がある。
ことパワーに関しては、裕太郎の方が確実に上。
なら俺はどうするか。
スピード、そして・・・。
跳躍、だ。
この日、模索中だった隆也のファイティングスタイルは明確に定まった。
初めてトップロープから飛ぶ技を練習した時、その高さと恐怖に驚いた。
しかし、隆也は確実に手応えを感じていた。
これが自分の戦い方なんだと。
タイトルマッチまでの地方巡業シリーズで、隆也は次々と新しいムーブ(技、動き)を披露していった。
全身をバネのように使い、リング内を所狭しと動き回る隆也の姿は、とあるトップレスラーの若い頃の姿を思わせた。
人々はいつしか、隆也をそのレスラーの愛称で呼ぶようになった。
『ジーニアス』と。
(続く)
グレートレスラーファイルNo.4
「棚橋弘至」
所属:新日本プロレス
階級:ヘビー
タイプ:ベビーフェイス
スタイル:武藤敬司タイプ
獲得タイトル:IWGPヘビー級、IWGPインターコンチネンタル王座、G1 CLIMAX優勝、IWGPタッグ王座、GHCタッグ王座他
得意技:ハイフライフロー、スリング・ブレイド、テキサスクローバーホールド、スタイルズクラッシュ
大学時代は学生プロレスサークルとアマレス部に所属。芸人のレイザーラモンRGの後輩にあたる。
3度目でようやく入門テストに合格、新日本プロレス入門。武藤敬司の付き人を経て、同期入門の鈴木健三(現:KENSO)とタッグチーム「キング・オブ・ザ・ヒルズ」を結成。ヘビー級タッグ戦線を活性化させる。その後佐々木健介、ブルー・ウルフらと新チームを結成するも、結成年内に解散。
2002年11月、別れ話のもつれから当時交際していた女性に刃物で背中を刺され重傷を負う。大量出血により一時意識を失うほどであったが、2003年に復帰。自らが提唱したU-30王座、IWGPタッグ王座、プロレスリング・ノアのGHCタッグ王座を立て続けに獲得。
2004年初め頃から中邑真輔、柴田勝頼と共に「新・闘魂三銃士」の一人とみなされ、中邑とのタッグでIWGPタッグ王座に再び戴冠。その後柴田が退団したことにより、新三銃士は消滅する。
2006年、新日本のバラエティー興行「WRESTLE LAND」からナルシスト・チャラ男キャラが開花。決め台詞「愛してま~す!」もこの頃から使い始めた。同年、王者ブロック・レスナーの契約トラブルにより空位になっていたIWGPヘビー級王座を賭けたトーナメントでジャイアント・バーナードを破り優勝。悲願の初戴冠となった。
2007年4月、永田裕志に敗れ王座陥落。試合後、右膝内側靭帯損傷の怪我を負い欠場する。復帰後、G1 CLIMAXで初優勝。10月にIWGP王者・永田にリベンジマッチを挑み見事勝利。王座に返り咲いた。後日、記者会見で結婚していたことを発表。
2008年1月、中邑真輔に敗れ王座陥落。二度目となるNEW JAPAN CUP優勝の後、IWGPヘビー級王者・中邑真輔に挑むも敗退。4月、全日本プロレスのリーグ戦「チャンピオン・カーニバル」初出場。7日には武藤敬司との師弟対決が実現し、フルタイムドローとなる。8日の試合中に左膝をマットに強打。その後は痛み止めを打ちながらも勝ち星を重ね、決勝戦にコマを進めるも、諏訪魔に敗退。準優勝に終わる。同大会後、怪我が悪化し長期欠場に入る。8月のG1 CLIMAXで復帰するが精彩を欠き予選落ち。10月からアメリカ・TNAへの無期限遠征に出発するが、新日本プロレス社長・菅林直樹の要請を受け12月に帰国。
2009年1月、全日本プロレス・武藤敬司に流出していたIWGPヘビー級王座に挑戦。かつての師を下し、王座戴冠。4度目の防衛戦で中西学に敗れ王座を手放すが、リマッチで勝利し再び戴冠。7月の防衛戦でプロレスリング・ノアの杉浦貴を破って防衛に成功。その試合後、観戦していたTAJIRIがリングに乱入し棚橋にグリーンミストを噴射。遺恨が生まれる。8月のG1でTAJIRIと対戦するも、グリーンミストからのバズソーキックで敗北。それでも決勝トーナメント進出を決め、準決勝で中邑真輔と対戦するが敗退。試合中に顔面に受けたハイキックで負傷し、欠場。IWGPヘビー級王座も返上する。
復帰後はIWGPヘビー級王者・中邑真輔に挑戦するもリベンジならず。その後はTAJIRIとの抗争を繰り広げ、12月にシングルマッチで対戦。菅林直樹社長にまでミストを噴射するTAJIRIの暴挙に怒った解説の山崎一夫の叱咤激励を受け奮起。菅林社長のアシストを受けTAJIRIに勝利。抗争に終止符を打つ。同年のプロレス大賞で最優秀選手賞を受賞した。
2010年、矢野通にハサミで髪を切られ、遺恨が勃発。敗者髪切りマッチで矢野に勝利するも矢野が抵抗。TAJIRIが棚橋の救援に駆けつけ矢野の髪を刈り、TAJIRIとタッグ結成。
G1 CLIMAXでは決勝戦でフリーランスの小島聡に敗れ、準優勝。G1 TAG LEAGUEにTAJIRIとのタッグで出場するも予選落ちに終わる。12月、後藤洋央紀をシングルマッチで破り、IWGPヘビー級王座への挑戦権を獲得。
2011年1月、王者・小島聡を破りIWGPヘビー級王座戴冠。G1こそ予選落ちに終わるものの、年内に10度の防衛に成功。自身二度目となるプロレス大賞の最優秀選手賞に輝く。
2012年1月に鈴木みのるを破り、11度目の防衛に成功。永田裕志の持つ連続防衛記録を更新。2月、凱旋帰国したばかりのオカダ・カズチカと対戦し、レインメーカーで敗退。IWGPヘビー級王座を失う。その後リマッチ権を行使しオカダと再度対戦。勝利してIWGPヘビー級王座を奪還する。7月、新日本・全日本の創立40周年記念大会のトリを飾り、真壁刀義に勝利して王座防衛に成功。橋本真也の通算最多防衛記録を塗り替える。
2013年4月、オカダ・カズチカに敗北し、王座陥落。8月のG1は決勝戦で内藤哲也に敗れ、準優勝。10月、オカダ・カズチカにリマッチを挑むものの敗退。試合後のコメントで「さらばだ、IWGP!」と叫び、IWGPヘビー級王座戦線からの撤退を宣言する。
2014年1月、中邑真輔に勝利しIWGPインターコンチネンタル王座初戴冠。2月のリマッチをも制するが4月、NEW JAPAN CUP優勝権限を使い再び挑戦してきた中邑真輔に敗れ、王座陥落。8月のG1 CLIMAXでは最終戦でデイビーボーイ・スミスJr.に敗れ決勝戦進出を逃す。
その後のG1 CLIMAX特別戦にてIWGPヘビー級王者・AJスタイルズに勝利。9月、タッグで対戦したAJスタイルズから指名を受け、10月にAJが持つIWGPヘビー級王座に挑戦。見事勝利し、自身7度目の戴冠を果たす。これにより最多戴冠記録をも更新することになった。
師匠である藤波辰爾、武藤敬司から影響を受けた技を使用。それ以外にもクイック技を好んで使用する。最上級フィニッシュ・ホールドであるハイフライフロー(フロッグ・スプラッシュ)は、同技の名手として名高いエディ・ゲレロ以来の使い手と高評価を受けている。
評:新日本の顔。そこまでパワー技に傾倒しているわけではないものの、上半身の筋肉は見事。ただ、顔が大きくて脚が短いのが若干のマイナスポイントではあるけども。
個人的に棚橋の試合を表するならば、ピンポイント攻撃のうまさが際立っていると思う。オカダや小島には徹底した腕への攻撃、中邑や内藤には非情なまでの脚攻撃など、相手の要であったり弱点であったりする部位への攻撃パターンが非常に多彩。残念ながら部位攻撃が苛烈な試合での勝率が低いため、勝手に負けフラグだと思っているが、もっと評価してもいいポイントだと思う。
ジャーマン、ドラゴン、だるま式ジャーマンの3種のスープレックスも見所ではあるんだけど、なんだかジャーマンがあんまり綺麗じゃないんだなぁ。特に高角度なわけでもないし。
フィニッシュのハイフライフローにしても、ロープに駆け上がるのは速いんだけどそこから若干もたつくのがなぁ。
昔は新日本の絶対的な象徴だったけど、オカダが帰ってきてからは少し影が薄い。それでもプロモーションやら撮影やらで各地を飛び回ってるからすごいとは思うんだけど、絶対的王者である必要はなくなったわけだから、もうちょっと他団体に出てもいいと思うんだよなぁ。GHCとか、今の棚橋だったらかなりの確率で獲れると思うんだわ。新日本休ませるわけにもいかないからリーグ戦は無理だろうけど、外敵挑戦者としてならいい存在感を示せるんじゃないかなぁ。言い方悪いがブーイングも浴び慣れてるわけだし。
予想と希望が半々だけど、W-12代目王者・武藤敬司に挑戦しないかなーと思ってる。最初の防衛線はさすがに真田・征矢・KAI・TAJIRIあたりだろうけど、新日本に参戦して棚橋、もしくは内藤との防衛戦やってほしいなぁ。見たいなぁ。
もうすでにイッテンヨンのメイン、オカダ・カズチカとのIWGP戦も決定してる。久しぶりの対決、実は楽しみなんだ。
これからも新日本プロレスの太陽でいてほしいものだ。
棚橋さん、愛してま~す!!
個人的ベストバウト:2013年東京ドーム、IWGPヘビー級選手権 vsオカダ
2014年両国、IWGPヘビー級選手権 vsAJスタイルズ
「棚橋弘至」
所属:新日本プロレス
階級:ヘビー
タイプ:ベビーフェイス
スタイル:武藤敬司タイプ
獲得タイトル:IWGPヘビー級、IWGPインターコンチネンタル王座、G1 CLIMAX優勝、IWGPタッグ王座、GHCタッグ王座他
得意技:ハイフライフロー、スリング・ブレイド、テキサスクローバーホールド、スタイルズクラッシュ
大学時代は学生プロレスサークルとアマレス部に所属。芸人のレイザーラモンRGの後輩にあたる。
3度目でようやく入門テストに合格、新日本プロレス入門。武藤敬司の付き人を経て、同期入門の鈴木健三(現:KENSO)とタッグチーム「キング・オブ・ザ・ヒルズ」を結成。ヘビー級タッグ戦線を活性化させる。その後佐々木健介、ブルー・ウルフらと新チームを結成するも、結成年内に解散。
2002年11月、別れ話のもつれから当時交際していた女性に刃物で背中を刺され重傷を負う。大量出血により一時意識を失うほどであったが、2003年に復帰。自らが提唱したU-30王座、IWGPタッグ王座、プロレスリング・ノアのGHCタッグ王座を立て続けに獲得。
2004年初め頃から中邑真輔、柴田勝頼と共に「新・闘魂三銃士」の一人とみなされ、中邑とのタッグでIWGPタッグ王座に再び戴冠。その後柴田が退団したことにより、新三銃士は消滅する。
2006年、新日本のバラエティー興行「WRESTLE LAND」からナルシスト・チャラ男キャラが開花。決め台詞「愛してま~す!」もこの頃から使い始めた。同年、王者ブロック・レスナーの契約トラブルにより空位になっていたIWGPヘビー級王座を賭けたトーナメントでジャイアント・バーナードを破り優勝。悲願の初戴冠となった。
2007年4月、永田裕志に敗れ王座陥落。試合後、右膝内側靭帯損傷の怪我を負い欠場する。復帰後、G1 CLIMAXで初優勝。10月にIWGP王者・永田にリベンジマッチを挑み見事勝利。王座に返り咲いた。後日、記者会見で結婚していたことを発表。
2008年1月、中邑真輔に敗れ王座陥落。二度目となるNEW JAPAN CUP優勝の後、IWGPヘビー級王者・中邑真輔に挑むも敗退。4月、全日本プロレスのリーグ戦「チャンピオン・カーニバル」初出場。7日には武藤敬司との師弟対決が実現し、フルタイムドローとなる。8日の試合中に左膝をマットに強打。その後は痛み止めを打ちながらも勝ち星を重ね、決勝戦にコマを進めるも、諏訪魔に敗退。準優勝に終わる。同大会後、怪我が悪化し長期欠場に入る。8月のG1 CLIMAXで復帰するが精彩を欠き予選落ち。10月からアメリカ・TNAへの無期限遠征に出発するが、新日本プロレス社長・菅林直樹の要請を受け12月に帰国。
2009年1月、全日本プロレス・武藤敬司に流出していたIWGPヘビー級王座に挑戦。かつての師を下し、王座戴冠。4度目の防衛戦で中西学に敗れ王座を手放すが、リマッチで勝利し再び戴冠。7月の防衛戦でプロレスリング・ノアの杉浦貴を破って防衛に成功。その試合後、観戦していたTAJIRIがリングに乱入し棚橋にグリーンミストを噴射。遺恨が生まれる。8月のG1でTAJIRIと対戦するも、グリーンミストからのバズソーキックで敗北。それでも決勝トーナメント進出を決め、準決勝で中邑真輔と対戦するが敗退。試合中に顔面に受けたハイキックで負傷し、欠場。IWGPヘビー級王座も返上する。
復帰後はIWGPヘビー級王者・中邑真輔に挑戦するもリベンジならず。その後はTAJIRIとの抗争を繰り広げ、12月にシングルマッチで対戦。菅林直樹社長にまでミストを噴射するTAJIRIの暴挙に怒った解説の山崎一夫の叱咤激励を受け奮起。菅林社長のアシストを受けTAJIRIに勝利。抗争に終止符を打つ。同年のプロレス大賞で最優秀選手賞を受賞した。
2010年、矢野通にハサミで髪を切られ、遺恨が勃発。敗者髪切りマッチで矢野に勝利するも矢野が抵抗。TAJIRIが棚橋の救援に駆けつけ矢野の髪を刈り、TAJIRIとタッグ結成。
G1 CLIMAXでは決勝戦でフリーランスの小島聡に敗れ、準優勝。G1 TAG LEAGUEにTAJIRIとのタッグで出場するも予選落ちに終わる。12月、後藤洋央紀をシングルマッチで破り、IWGPヘビー級王座への挑戦権を獲得。
2011年1月、王者・小島聡を破りIWGPヘビー級王座戴冠。G1こそ予選落ちに終わるものの、年内に10度の防衛に成功。自身二度目となるプロレス大賞の最優秀選手賞に輝く。
2012年1月に鈴木みのるを破り、11度目の防衛に成功。永田裕志の持つ連続防衛記録を更新。2月、凱旋帰国したばかりのオカダ・カズチカと対戦し、レインメーカーで敗退。IWGPヘビー級王座を失う。その後リマッチ権を行使しオカダと再度対戦。勝利してIWGPヘビー級王座を奪還する。7月、新日本・全日本の創立40周年記念大会のトリを飾り、真壁刀義に勝利して王座防衛に成功。橋本真也の通算最多防衛記録を塗り替える。
2013年4月、オカダ・カズチカに敗北し、王座陥落。8月のG1は決勝戦で内藤哲也に敗れ、準優勝。10月、オカダ・カズチカにリマッチを挑むものの敗退。試合後のコメントで「さらばだ、IWGP!」と叫び、IWGPヘビー級王座戦線からの撤退を宣言する。
2014年1月、中邑真輔に勝利しIWGPインターコンチネンタル王座初戴冠。2月のリマッチをも制するが4月、NEW JAPAN CUP優勝権限を使い再び挑戦してきた中邑真輔に敗れ、王座陥落。8月のG1 CLIMAXでは最終戦でデイビーボーイ・スミスJr.に敗れ決勝戦進出を逃す。
その後のG1 CLIMAX特別戦にてIWGPヘビー級王者・AJスタイルズに勝利。9月、タッグで対戦したAJスタイルズから指名を受け、10月にAJが持つIWGPヘビー級王座に挑戦。見事勝利し、自身7度目の戴冠を果たす。これにより最多戴冠記録をも更新することになった。
師匠である藤波辰爾、武藤敬司から影響を受けた技を使用。それ以外にもクイック技を好んで使用する。最上級フィニッシュ・ホールドであるハイフライフロー(フロッグ・スプラッシュ)は、同技の名手として名高いエディ・ゲレロ以来の使い手と高評価を受けている。
評:新日本の顔。そこまでパワー技に傾倒しているわけではないものの、上半身の筋肉は見事。ただ、顔が大きくて脚が短いのが若干のマイナスポイントではあるけども。
個人的に棚橋の試合を表するならば、ピンポイント攻撃のうまさが際立っていると思う。オカダや小島には徹底した腕への攻撃、中邑や内藤には非情なまでの脚攻撃など、相手の要であったり弱点であったりする部位への攻撃パターンが非常に多彩。残念ながら部位攻撃が苛烈な試合での勝率が低いため、勝手に負けフラグだと思っているが、もっと評価してもいいポイントだと思う。
ジャーマン、ドラゴン、だるま式ジャーマンの3種のスープレックスも見所ではあるんだけど、なんだかジャーマンがあんまり綺麗じゃないんだなぁ。特に高角度なわけでもないし。
フィニッシュのハイフライフローにしても、ロープに駆け上がるのは速いんだけどそこから若干もたつくのがなぁ。
昔は新日本の絶対的な象徴だったけど、オカダが帰ってきてからは少し影が薄い。それでもプロモーションやら撮影やらで各地を飛び回ってるからすごいとは思うんだけど、絶対的王者である必要はなくなったわけだから、もうちょっと他団体に出てもいいと思うんだよなぁ。GHCとか、今の棚橋だったらかなりの確率で獲れると思うんだわ。新日本休ませるわけにもいかないからリーグ戦は無理だろうけど、外敵挑戦者としてならいい存在感を示せるんじゃないかなぁ。言い方悪いがブーイングも浴び慣れてるわけだし。
予想と希望が半々だけど、W-12代目王者・武藤敬司に挑戦しないかなーと思ってる。最初の防衛線はさすがに真田・征矢・KAI・TAJIRIあたりだろうけど、新日本に参戦して棚橋、もしくは内藤との防衛戦やってほしいなぁ。見たいなぁ。
もうすでにイッテンヨンのメイン、オカダ・カズチカとのIWGP戦も決定してる。久しぶりの対決、実は楽しみなんだ。
これからも新日本プロレスの太陽でいてほしいものだ。
棚橋さん、愛してま~す!!
個人的ベストバウト:2013年東京ドーム、IWGPヘビー級選手権 vsオカダ
2014年両国、IWGPヘビー級選手権 vsAJスタイルズ
こんにちは。みなさん。
愚冷刀凛汰、降臨です。
今回のプロレスコラムは、2014年に発売されたプロレスムック本
別冊宝島「新日本プロレス 蘇る黄金時代」についてです。
表紙の通り、猪木新日本の全盛期を写真で振り返る内容になっています。
今回はこの本の内容と、新旧の日本プロレスについて少し。
※以下、軽くではありますがネタバレを含みます。
さて、まずは本の紹介を少し。
前述したとおり1980年代の、アントニオ猪木率いる新日本プロレスの黄金時代の写真と、当時を知る人物たちのインタビューが掲載されている。
アントニオ猪木、初代タイガーマスク、前田日明・・・
この時代のファンは信者とも呼ばれ、信仰に近い思い入れを持っている。
若き猪木の研ぎ澄まされた肉体と初代タイガーマスクの躍動感が、大きな写真で見れるのは非常にうれしいところ。
猪木のビルドアップされたボディは、現在のレスラーと比べても遜色ない。実に美しい。
プロレス界に大きな影響を与えた人物の筆頭であるアントニオ猪木と初代タイガーマスクの激闘を知るにはもってこいの本ではないかと。
また収録されている対談とインタビューも実に印象的。
当時のプロレス界を知る、当時のプロレス界を作り上げた人たちの言葉には、確かな重みがあった。
しかし。
あえて問題視したいのは、ワールドプロレスリング元解説者・桜井康雄氏のインタビュー記事。
絶頂期にあった当時の新日本プロレスの裏を知る人物がそれを語る、という趣旨の記事だが、
問題は最後の下り。
『私は今のプロレスもたまに観たりしますけど、やっぱり違うんですよね。棚橋弘至とオカダ・カズチカの試合なんかはいい試合だなとは思いますけど、猪木の時代とは迫力が違うし、お客さんが沸くポイントも違う。
個人的には、日本のプロレスは昭和で終わってると思いますね。(略)プロレスは「闘い」というよりも、完全に「芸能」になってしまった。やっぱりプロレスラーには格闘の強さを求めてほしいし、ファンもショーではなく「闘い」を望んでるんだと思いますね』
この一文に、私は物申したい。
確かに猪木時代とはプロレスそのものの「質」が変化しているのは事実だ。
1980年代の試合の映像を見ると、その熱狂度と独特の空気感に驚かされる。
その時代のプロレスに熱狂した人からすれば、今の新日本プロレスには違和感を抱くのも無理ないかもしれない。
しかし。
日本のプロレスは昭和で終わっている。この言葉をすんなり受け入れるわけにはいかない。
桜井氏は「プロレスラーには格闘の強さを求めてほしい」と言う。
ある時期、プロレスラーが徹底して格闘者としての強さを追い求めたことがあった。
その結果どうなったのかは、プロレスファンならよく知るところだ。
新興してきた総合格闘技にその人気を奪われ、冬の時代に突入することになった。
プロレス界でも特に格闘技路線に傾倒していた新日本プロレスも暗黒時代に突入し、棚橋弘至の登場まで泥水をすすることとなる。
桜井氏に限らず、猪木時代のファンや関係者は、現在の新日本プロレスに否定的であることが多い。
それは猪木が唱えた、「プロレスは最強の格闘技である」という言葉の呪縛である、と私は思う。
プロレスは格闘技である。格闘技であるからには、プロレスラーは強くあらねばならない。
そういう強烈な固定概念が頭の中に完成していて、現在の「エンターテイメント」であるプロレスを拒否しているのだ。
インターネット上の書き込みでも、猪木時代との比較で現在のプロレス界を批判する意見が多数見受けられる。
はっきり言うが、猪木時代のプロレスを現在に持ってきても、かつてのような熱狂は取り戻せない。
それどころか、新規のファンを切り捨て、さらに過去の栄光を忘れられず多大な期待を持ったファンを幻滅させ、新日本の衰退を招くだろう。
私は、プロレスというものは実に懐の深いジャンルであると思う。
UWFスタイルも、ストロングスタイルも、デスマッチも、路上プロレスも、お笑いプロレスも、全て「プロレス」として成立しているのがその証だ。
そして、ファンの価値観が実に多様なところもプロレスの魅力である。
強さを求める人も、エンタメを求める人も、イケメンプロレスラーの顔や肉体を楽しむ人もいる。
確かに前述の猪木時代のファンも、この大きなプロレスファンの輪の一環であることは間違いない。
しかし、猪木時代に囚われるあまり、現在のプロレスを否定するのは実にもったいない。
日本のプロレスが昭和で終わったのではなく、猪木時代のファンが昭和で立ち止まっているだけにすぎないのだ。
かくも寛容なプロレスというジャンルを、一部からしか見れないのはプロレスファンとして損をしている。と、断言できる。
新日本プロレスが再び黄金期を迎えている今、過去の新日本プロレスを取り上げることも増えていく。
それは現在の新日本ファンに過去を振り返らせる契機となり、プロレス界のさらなる発展に繋がっていくだろう。
しかし、その際に現在の新日本を、現代のプロレスを否定するような言葉を使わないでほしい。
プロレスが再び日本の大衆芸能に返り咲こうとしている中で、桜井氏のように現在のプロレスを、しかも名指しで批判するような言動は、そのプロレスの勢いへのブレーキも同然だ。
過去を省みることは重要だが、その過去に囚われてはならない。
様々形を変えてはいるが、プロレスは今も昔もプロレスなのだ。
その根本が見えていれば、猪木時代のプロレスも、現代の多様化するプロレスも同様に楽しめるはずである。
少なくとも私はそうだ。
これからもさらに飛躍するプロレス界を、いつまでも見守っていきたいものだ。
愚冷刀凛汰、降臨です。
今回のプロレスコラムは、2014年に発売されたプロレスムック本
別冊宝島「新日本プロレス 蘇る黄金時代」についてです。
表紙の通り、猪木新日本の全盛期を写真で振り返る内容になっています。
今回はこの本の内容と、新旧の日本プロレスについて少し。
※以下、軽くではありますがネタバレを含みます。
さて、まずは本の紹介を少し。
前述したとおり1980年代の、アントニオ猪木率いる新日本プロレスの黄金時代の写真と、当時を知る人物たちのインタビューが掲載されている。
アントニオ猪木、初代タイガーマスク、前田日明・・・
この時代のファンは信者とも呼ばれ、信仰に近い思い入れを持っている。
若き猪木の研ぎ澄まされた肉体と初代タイガーマスクの躍動感が、大きな写真で見れるのは非常にうれしいところ。
猪木のビルドアップされたボディは、現在のレスラーと比べても遜色ない。実に美しい。
プロレス界に大きな影響を与えた人物の筆頭であるアントニオ猪木と初代タイガーマスクの激闘を知るにはもってこいの本ではないかと。
また収録されている対談とインタビューも実に印象的。
当時のプロレス界を知る、当時のプロレス界を作り上げた人たちの言葉には、確かな重みがあった。
しかし。
あえて問題視したいのは、ワールドプロレスリング元解説者・桜井康雄氏のインタビュー記事。
絶頂期にあった当時の新日本プロレスの裏を知る人物がそれを語る、という趣旨の記事だが、
問題は最後の下り。
『私は今のプロレスもたまに観たりしますけど、やっぱり違うんですよね。棚橋弘至とオカダ・カズチカの試合なんかはいい試合だなとは思いますけど、猪木の時代とは迫力が違うし、お客さんが沸くポイントも違う。
個人的には、日本のプロレスは昭和で終わってると思いますね。(略)プロレスは「闘い」というよりも、完全に「芸能」になってしまった。やっぱりプロレスラーには格闘の強さを求めてほしいし、ファンもショーではなく「闘い」を望んでるんだと思いますね』
この一文に、私は物申したい。
確かに猪木時代とはプロレスそのものの「質」が変化しているのは事実だ。
1980年代の試合の映像を見ると、その熱狂度と独特の空気感に驚かされる。
その時代のプロレスに熱狂した人からすれば、今の新日本プロレスには違和感を抱くのも無理ないかもしれない。
しかし。
日本のプロレスは昭和で終わっている。この言葉をすんなり受け入れるわけにはいかない。
桜井氏は「プロレスラーには格闘の強さを求めてほしい」と言う。
ある時期、プロレスラーが徹底して格闘者としての強さを追い求めたことがあった。
その結果どうなったのかは、プロレスファンならよく知るところだ。
新興してきた総合格闘技にその人気を奪われ、冬の時代に突入することになった。
プロレス界でも特に格闘技路線に傾倒していた新日本プロレスも暗黒時代に突入し、棚橋弘至の登場まで泥水をすすることとなる。
桜井氏に限らず、猪木時代のファンや関係者は、現在の新日本プロレスに否定的であることが多い。
それは猪木が唱えた、「プロレスは最強の格闘技である」という言葉の呪縛である、と私は思う。
プロレスは格闘技である。格闘技であるからには、プロレスラーは強くあらねばならない。
そういう強烈な固定概念が頭の中に完成していて、現在の「エンターテイメント」であるプロレスを拒否しているのだ。
インターネット上の書き込みでも、猪木時代との比較で現在のプロレス界を批判する意見が多数見受けられる。
はっきり言うが、猪木時代のプロレスを現在に持ってきても、かつてのような熱狂は取り戻せない。
それどころか、新規のファンを切り捨て、さらに過去の栄光を忘れられず多大な期待を持ったファンを幻滅させ、新日本の衰退を招くだろう。
私は、プロレスというものは実に懐の深いジャンルであると思う。
UWFスタイルも、ストロングスタイルも、デスマッチも、路上プロレスも、お笑いプロレスも、全て「プロレス」として成立しているのがその証だ。
そして、ファンの価値観が実に多様なところもプロレスの魅力である。
強さを求める人も、エンタメを求める人も、イケメンプロレスラーの顔や肉体を楽しむ人もいる。
確かに前述の猪木時代のファンも、この大きなプロレスファンの輪の一環であることは間違いない。
しかし、猪木時代に囚われるあまり、現在のプロレスを否定するのは実にもったいない。
日本のプロレスが昭和で終わったのではなく、猪木時代のファンが昭和で立ち止まっているだけにすぎないのだ。
かくも寛容なプロレスというジャンルを、一部からしか見れないのはプロレスファンとして損をしている。と、断言できる。
新日本プロレスが再び黄金期を迎えている今、過去の新日本プロレスを取り上げることも増えていく。
それは現在の新日本ファンに過去を振り返らせる契機となり、プロレス界のさらなる発展に繋がっていくだろう。
しかし、その際に現在の新日本を、現代のプロレスを否定するような言葉を使わないでほしい。
プロレスが再び日本の大衆芸能に返り咲こうとしている中で、桜井氏のように現在のプロレスを、しかも名指しで批判するような言動は、そのプロレスの勢いへのブレーキも同然だ。
過去を省みることは重要だが、その過去に囚われてはならない。
様々形を変えてはいるが、プロレスは今も昔もプロレスなのだ。
その根本が見えていれば、猪木時代のプロレスも、現代の多様化するプロレスも同様に楽しめるはずである。
少なくとも私はそうだ。
これからもさらに飛躍するプロレス界を、いつまでも見守っていきたいものだ。
グレートレスラーファイルNo.3
「飯伏幸太」
所属:DDTプロレスリング、新日本プロレス(2団体所属)
階級:ヘビー
タイプ:ベビーフェイス
スタイル:アクロバティックジュニアタイプ
獲得タイトル:KO-D無差別級、KO-Dタッグ王座、IWGPジュニアヘビー級王座、BEST OF THE SUPER Jr.優勝他
得意技:フェニックス・スプラッシュ、シットダウン式ラストライド、その場飛びカンクーン・トルネード、フェニックス・プレックス・ホールド
高校時代はラグビー部に所属。その後、キックボクシングの経験を経てDDTからデビュー。デビュー翌年にDDTのKO-Dタッグリーグ優勝を果たし、KO-Dタッグ王座を戴冠する。DDTを始めとした多くのインディー団体で活躍し、学生プロレスも経験。メジャー団体であるプロレスリング・ノアのジュニアタッグリーグに丸藤正道とのイケメンタッグで出場。決勝で敗れるもののその試合は同リーグでのベストバウトと評され、メジャーマットでも通用することが明らかになった。
2009年、新日本プロレスのBEST OF THE SUPER Jr.に初参戦。決勝トーナメントに進出するものの、後のライバルとなるプリンス・デヴィットに敗れた。同年8月、KO-D無差別級王座に初戴冠。
2010年、盟友ケニー・オメガとのタッグチーム「ゴールデン☆ラヴァーズ」として新日本プロレスに参戦。10月には田口隆祐、プリンス・デヴィットの「Apollo 55」と対戦し、IWGPジュニアタッグ王座を獲得。2011年5月にはBEST OF THE SUPER Jr.に他団体選手としては初めて優勝に輝き、6月にはプリンス・デヴィットを破りIWGPジュニアヘビー級王座をも獲得。その後肩の負傷によりベルトを返上、長期欠場に入る。欠場中に行われたキャンプ場プロレスでは、選手・観客を問わず無差別に打ち上げ花火で攻撃を仕掛けるPKと化した。
2014年5月に復帰、一ヶ月後にKO-D無差別級王座を獲得。さらにその一ヶ月後には、、肩の負傷で返上したIWGPジュニアヘビー級のベルトをも奪還。8月、DDT初の日本武道館大会にて、パートナーのケニー・オメガとKO-D無差別級のベルトを賭けて対決。二階スタンド席からのケブラーダ(ムーンサルトアタック)、場外へのフランケンシュタイナーなど危険な技を次々と繰り出し、防衛に成功。その後両ベルトを失うも、各団体で名勝負を繰り広げる。
2013年には新日本プロレスのリーグ戦「G1 CLIMAX」に初出場。予選落ちに終わるものの、中邑真輔との試合は2013年の年間ベストバウト賞を獲得した。
8月のDDT両国大会でIWGPヘビー級王者オカダ・カズチカとシングル初対決。10月には新日本プロレスとの契約が発表され、業界初の二団体同時所属選手となった。
2014年のイッテンヨン東京ドーム大会にて、IWGPジュニアヘビー級王座に戴冠。その後KUSHIDAに敗れ王座陥落、その試合で脳震盪を起こし、G1 CLIMAX欠場、自身の10周年記念興行は延期となる。
同年8月、DDT両国大会での近藤修司とのシングルマッチで復帰。見事勝利を飾る。9月には新日本プロレスにおける復帰戦も行い、今後はヘビー級として戦っていくことを宣言した。
キックボクシング経験を活かした鋭いキックと超人的な飛び技、300kgあるという強靭な背筋力から繰り出すパワー殺法が持ち味。必殺技であるフェニックス・スプラッシュは開発者であるハヤブサ以降随一の使い手と言われる。
パワーボムの状態で持ち上げ、そのまま首を抱え込んで背後に反り投げる危険技フェニックス・プレックス・ホールドやシットダウン式ラストライドなど、パワー技も光る。
試合中に「キレる」ことがあり、その際はストレート式の掌打やラリアット、頭部へのハイキックなど危険な打撃技も繰り出す。
評:誰もがファンにならざるを得ないような、凄まじい選手。危険をものともしない飛び技や、自分より大きな相手を軽々と持ち上げて叩きつけるシーンは圧巻の一言。2012年ごろからウェイトを増やし始め、飛び技の比率が少なくなっていってるもののそのキレは健在。しかも増量と共にグラウンド技術の向上、投げ技や打撃技の説得力向上が見られ、ほんとに現在進行形で進化している。恐ろしい。
新日本とのダブル所属、ヘビー級転向には賛否あると思うが、個人的にはナイス判断。新日本に完全移籍してもよかったのにとすら思う。確かに破天荒かつ危険なプロレスが飯伏の持ち味であることは確かなんだけど、年齢的に肉体はそろそろピーク。いつまでもDDTでやってるようなプロレスができるわけでもないので、長くプロレスをやるためにはやっぱどこかで今のスタイルに折り合いをつけるべきだと思う。本人ももちろんそれはわかってるだろう。だからこそのヘビー級転向なんじゃないかな?と私は思う次第。でもまだダブル所属のままだから、DDTはDDTで派手にやるんだろう。そういう意味では相方のケニーは見事な判断をしたと言える。
彼の美点であり、同時に欠点というかプロレス寿命を縮める要因にもなりかねないのがDDTへの愛着ってのはなんというか、皮肉だなぁ。
かつて獣神サンダー・ライガーに指摘されたグラウンドテクニックについては、確実に向上している。ここら辺で一本関節技があれば、本当にオールラウンダーになれるんだけどな。本人はそんなに得意そうではないけども。
やっぱ新日本ファンとしては、こんなにも素材の揃っている選手はやっぱり新日本にいてほしいってのが本音だね。いつかケニーとのタッグが新日本のリングで見れる日を心待ちにしているよ。目指せG1覇者。目指せIWGPヘビー級王者!
個人的ベストバウト:2012年 日本武道館、KO-D無差別級選手権 vsケニー・オメガ
2014年 ボディーメーカーコロシアム、IWGPジュニアヘビー級選手権 vsリコシェ
「飯伏幸太」
所属:DDTプロレスリング、新日本プロレス(2団体所属)
階級:ヘビー
タイプ:ベビーフェイス
スタイル:アクロバティックジュニアタイプ
獲得タイトル:KO-D無差別級、KO-Dタッグ王座、IWGPジュニアヘビー級王座、BEST OF THE SUPER Jr.優勝他
得意技:フェニックス・スプラッシュ、シットダウン式ラストライド、その場飛びカンクーン・トルネード、フェニックス・プレックス・ホールド
高校時代はラグビー部に所属。その後、キックボクシングの経験を経てDDTからデビュー。デビュー翌年にDDTのKO-Dタッグリーグ優勝を果たし、KO-Dタッグ王座を戴冠する。DDTを始めとした多くのインディー団体で活躍し、学生プロレスも経験。メジャー団体であるプロレスリング・ノアのジュニアタッグリーグに丸藤正道とのイケメンタッグで出場。決勝で敗れるもののその試合は同リーグでのベストバウトと評され、メジャーマットでも通用することが明らかになった。
2009年、新日本プロレスのBEST OF THE SUPER Jr.に初参戦。決勝トーナメントに進出するものの、後のライバルとなるプリンス・デヴィットに敗れた。同年8月、KO-D無差別級王座に初戴冠。
2010年、盟友ケニー・オメガとのタッグチーム「ゴールデン☆ラヴァーズ」として新日本プロレスに参戦。10月には田口隆祐、プリンス・デヴィットの「Apollo 55」と対戦し、IWGPジュニアタッグ王座を獲得。2011年5月にはBEST OF THE SUPER Jr.に他団体選手としては初めて優勝に輝き、6月にはプリンス・デヴィットを破りIWGPジュニアヘビー級王座をも獲得。その後肩の負傷によりベルトを返上、長期欠場に入る。欠場中に行われたキャンプ場プロレスでは、選手・観客を問わず無差別に打ち上げ花火で攻撃を仕掛けるPKと化した。
2014年5月に復帰、一ヶ月後にKO-D無差別級王座を獲得。さらにその一ヶ月後には、、肩の負傷で返上したIWGPジュニアヘビー級のベルトをも奪還。8月、DDT初の日本武道館大会にて、パートナーのケニー・オメガとKO-D無差別級のベルトを賭けて対決。二階スタンド席からのケブラーダ(ムーンサルトアタック)、場外へのフランケンシュタイナーなど危険な技を次々と繰り出し、防衛に成功。その後両ベルトを失うも、各団体で名勝負を繰り広げる。
2013年には新日本プロレスのリーグ戦「G1 CLIMAX」に初出場。予選落ちに終わるものの、中邑真輔との試合は2013年の年間ベストバウト賞を獲得した。
8月のDDT両国大会でIWGPヘビー級王者オカダ・カズチカとシングル初対決。10月には新日本プロレスとの契約が発表され、業界初の二団体同時所属選手となった。
2014年のイッテンヨン東京ドーム大会にて、IWGPジュニアヘビー級王座に戴冠。その後KUSHIDAに敗れ王座陥落、その試合で脳震盪を起こし、G1 CLIMAX欠場、自身の10周年記念興行は延期となる。
同年8月、DDT両国大会での近藤修司とのシングルマッチで復帰。見事勝利を飾る。9月には新日本プロレスにおける復帰戦も行い、今後はヘビー級として戦っていくことを宣言した。
キックボクシング経験を活かした鋭いキックと超人的な飛び技、300kgあるという強靭な背筋力から繰り出すパワー殺法が持ち味。必殺技であるフェニックス・スプラッシュは開発者であるハヤブサ以降随一の使い手と言われる。
パワーボムの状態で持ち上げ、そのまま首を抱え込んで背後に反り投げる危険技フェニックス・プレックス・ホールドやシットダウン式ラストライドなど、パワー技も光る。
試合中に「キレる」ことがあり、その際はストレート式の掌打やラリアット、頭部へのハイキックなど危険な打撃技も繰り出す。
評:誰もがファンにならざるを得ないような、凄まじい選手。危険をものともしない飛び技や、自分より大きな相手を軽々と持ち上げて叩きつけるシーンは圧巻の一言。2012年ごろからウェイトを増やし始め、飛び技の比率が少なくなっていってるもののそのキレは健在。しかも増量と共にグラウンド技術の向上、投げ技や打撃技の説得力向上が見られ、ほんとに現在進行形で進化している。恐ろしい。
新日本とのダブル所属、ヘビー級転向には賛否あると思うが、個人的にはナイス判断。新日本に完全移籍してもよかったのにとすら思う。確かに破天荒かつ危険なプロレスが飯伏の持ち味であることは確かなんだけど、年齢的に肉体はそろそろピーク。いつまでもDDTでやってるようなプロレスができるわけでもないので、長くプロレスをやるためにはやっぱどこかで今のスタイルに折り合いをつけるべきだと思う。本人ももちろんそれはわかってるだろう。だからこそのヘビー級転向なんじゃないかな?と私は思う次第。でもまだダブル所属のままだから、DDTはDDTで派手にやるんだろう。そういう意味では相方のケニーは見事な判断をしたと言える。
彼の美点であり、同時に欠点というかプロレス寿命を縮める要因にもなりかねないのがDDTへの愛着ってのはなんというか、皮肉だなぁ。
かつて獣神サンダー・ライガーに指摘されたグラウンドテクニックについては、確実に向上している。ここら辺で一本関節技があれば、本当にオールラウンダーになれるんだけどな。本人はそんなに得意そうではないけども。
やっぱ新日本ファンとしては、こんなにも素材の揃っている選手はやっぱり新日本にいてほしいってのが本音だね。いつかケニーとのタッグが新日本のリングで見れる日を心待ちにしているよ。目指せG1覇者。目指せIWGPヘビー級王者!
個人的ベストバウト:2012年 日本武道館、KO-D無差別級選手権 vsケニー・オメガ
2014年 ボディーメーカーコロシアム、IWGPジュニアヘビー級選手権 vsリコシェ
プロフィール
HN:
グレート・リタ
年齢:
895
HP:
性別:
男性
誕生日:
1129/10/16
職業:
アマチュアプロレス論者兼アマチュアプロレス小説作家
趣味:
プロレス観戦とプロレス論の構築、プロレス小説の執筆
自己紹介:
要するにただのプロレス好き。
詳細プロフィール、連絡等はTwitterに。
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