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グレート・リタ/愚冷刀凛汰(逢坂鈴汰)のプロレス専門ブログ。団体は新日本、W-1。選手は武藤敬司、グレート・ムタ、飯伏幸太、棚橋弘至、中邑真輔、内藤哲也、真田聖也、その他新日本、W-1勢など。Twitter :@rita_osaka
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こんにちは。みなさん。
愚冷刀凛汰、降臨です。

今回のプロレスコラムは、2014年に発売されたプロレスムック本
別冊宝島「新日本プロレス 蘇る黄金時代」についてです。



表紙の通り、猪木新日本の全盛期を写真で振り返る内容になっています。
今回はこの本の内容と、新旧の日本プロレスについて少し。

※以下、軽くではありますがネタバレを含みます。









さて、まずは本の紹介を少し。
前述したとおり1980年代の、アントニオ猪木率いる新日本プロレスの黄金時代の写真と、当時を知る人物たちのインタビューが掲載されている。
アントニオ猪木、初代タイガーマスク、前田日明・・・
この時代のファンは信者とも呼ばれ、信仰に近い思い入れを持っている。
若き猪木の研ぎ澄まされた肉体と初代タイガーマスクの躍動感が、大きな写真で見れるのは非常にうれしいところ。
猪木のビルドアップされたボディは、現在のレスラーと比べても遜色ない。実に美しい。
プロレス界に大きな影響を与えた人物の筆頭であるアントニオ猪木と初代タイガーマスクの激闘を知るにはもってこいの本ではないかと。
また収録されている対談とインタビューも実に印象的。
当時のプロレス界を知る、当時のプロレス界を作り上げた人たちの言葉には、確かな重みがあった。

しかし。

あえて問題視したいのは、ワールドプロレスリング元解説者・桜井康雄氏のインタビュー記事。
絶頂期にあった当時の新日本プロレスの裏を知る人物がそれを語る、という趣旨の記事だが、
問題は最後の下り。

『私は今のプロレスもたまに観たりしますけど、やっぱり違うんですよね。棚橋弘至とオカダ・カズチカの試合なんかはいい試合だなとは思いますけど、猪木の時代とは迫力が違うし、お客さんが沸くポイントも違う。
 個人的には、日本のプロレスは昭和で終わってると思いますね。(略)プロレスは「闘い」というよりも、完全に「芸能」になってしまった。やっぱりプロレスラーには格闘の強さを求めてほしいし、ファンもショーではなく「闘い」を望んでるんだと思いますね』

この一文に、私は物申したい。
確かに猪木時代とはプロレスそのものの「質」が変化しているのは事実だ。
1980年代の試合の映像を見ると、その熱狂度と独特の空気感に驚かされる。
その時代のプロレスに熱狂した人からすれば、今の新日本プロレスには違和感を抱くのも無理ないかもしれない。
しかし。
日本のプロレスは昭和で終わっている。この言葉をすんなり受け入れるわけにはいかない。
桜井氏は「プロレスラーには格闘の強さを求めてほしい」と言う。
ある時期、プロレスラーが徹底して格闘者としての強さを追い求めたことがあった。
その結果どうなったのかは、プロレスファンならよく知るところだ。
新興してきた総合格闘技にその人気を奪われ、冬の時代に突入することになった。
プロレス界でも特に格闘技路線に傾倒していた新日本プロレスも暗黒時代に突入し、棚橋弘至の登場まで泥水をすすることとなる。

桜井氏に限らず、猪木時代のファンや関係者は、現在の新日本プロレスに否定的であることが多い。
それは猪木が唱えた、「プロレスは最強の格闘技である」という言葉の呪縛である、と私は思う。
プロレスは格闘技である。格闘技であるからには、プロレスラーは強くあらねばならない。
そういう強烈な固定概念が頭の中に完成していて、現在の「エンターテイメント」であるプロレスを拒否しているのだ。
インターネット上の書き込みでも、猪木時代との比較で現在のプロレス界を批判する意見が多数見受けられる。

はっきり言うが、猪木時代のプロレスを現在に持ってきても、かつてのような熱狂は取り戻せない。
それどころか、新規のファンを切り捨て、さらに過去の栄光を忘れられず多大な期待を持ったファンを幻滅させ、新日本の衰退を招くだろう。

私は、プロレスというものは実に懐の深いジャンルであると思う。
UWFスタイルも、ストロングスタイルも、デスマッチも、路上プロレスも、お笑いプロレスも、全て「プロレス」として成立しているのがその証だ。
そして、ファンの価値観が実に多様なところもプロレスの魅力である。
強さを求める人も、エンタメを求める人も、イケメンプロレスラーの顔や肉体を楽しむ人もいる。
確かに前述の猪木時代のファンも、この大きなプロレスファンの輪の一環であることは間違いない。
しかし、猪木時代に囚われるあまり、現在のプロレスを否定するのは実にもったいない。

日本のプロレスが昭和で終わったのではなく、猪木時代のファンが昭和で立ち止まっているだけにすぎないのだ。
かくも寛容なプロレスというジャンルを、一部からしか見れないのはプロレスファンとして損をしている。と、断言できる。

新日本プロレスが再び黄金期を迎えている今、過去の新日本プロレスを取り上げることも増えていく。
それは現在の新日本ファンに過去を振り返らせる契機となり、プロレス界のさらなる発展に繋がっていくだろう。
しかし、その際に現在の新日本を、現代のプロレスを否定するような言葉を使わないでほしい。
プロレスが再び日本の大衆芸能に返り咲こうとしている中で、桜井氏のように現在のプロレスを、しかも名指しで批判するような言動は、そのプロレスの勢いへのブレーキも同然だ。

過去を省みることは重要だが、その過去に囚われてはならない。
様々形を変えてはいるが、プロレスは今も昔もプロレスなのだ。
その根本が見えていれば、猪木時代のプロレスも、現代の多様化するプロレスも同様に楽しめるはずである。
少なくとも私はそうだ。

これからもさらに飛躍するプロレス界を、いつまでも見守っていきたいものだ。

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プロフィール
HN:
グレート・リタ
年齢:
895
HP:
性別:
男性
誕生日:
1129/10/16
職業:
アマチュアプロレス論者兼アマチュアプロレス小説作家
趣味:
プロレス観戦とプロレス論の構築、プロレス小説の執筆
自己紹介:
要するにただのプロレス好き。
詳細プロフィール、連絡等はTwitterに。
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